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CREATOR INTERVIEW VOL.23

テレアポと労務を兼任したデザイナーが、憧れの広告業界でよろずやプロデューサーになるまで

D2C ID Inc.

D2Cへ入社し電通に駐在しながら、D2C dotにてシニアマネージャー兼プロデューサーを務める高橋大輔氏。広告業界へいざ入ってから経験した苦労や転換期とは?

「プロデューサーという職種が何なのか、最初は全くイメージが沸かなかった」 そう語るのは、制作会社でグラフィックデザイナーとして7年勤務、その後、目指していた広告業界へ入るべくD2Cへ入社し、以降現在まで7年間、電通にデジタルコミュニケーション領域のプロデューサーとして駐在しながら、D2C dotにてシニアマネージャー兼プロデューサーを務める高橋大輔氏。 2018年には自身が担当した案件にてACC TOKYO CREATIVITY AWARDS 総務大臣賞 / ACCグランプリ、Spike Asiaに四部門の受賞するなどの活躍をしているが、そこに至るまでの道のりは当然平坦ではなかった。 広告業界へいざ入ってから経験した苦労、そして自身にとっての転換期など、高橋氏のこれまでのキャリアについて、お話を伺った。


「グラフィックデザイナーだったはずが、なぜかテレアポ・飛び込み営業や労務の仕事をしていた」よろずやキャリアのはじまり

クリエイティブ業界に興味を持ったキッカケを教えてください。

広告とかデザインとかが「面白いな」と最初に感じたのは、大学生だったときです。当時、ハンバーガー屋さんでのアルバイトに精を出していたんですが、たまたまバイトリーダーになることができて、裁量のある仕事をさせてもらっていました。

ランチタイムやティータイムにもう少し売上がほしいなと思えば、クーポン片手に店先で呼び込みをしてみたり、金庫担いで1人で外販をしたりと、少しの工夫で客数も増えて売上も上がるものなんだという発見ができてすごく楽しかったんです。その延長線上で、Adobe IllustratorやPhotoshopを使えたので、POPを手弁当で制作してみると、注文の傾向がPOPでおすすめした商品に動くという実感ができて、これは面白いなと。今思えば、大学時代のアルバイトがキャリアのはじまり、という感じかもしれませんね(笑)。

 
 

大学卒業後は、最初から広告業界に行こうと決めていたんですか?

大学では法律を学んでいたんですが、マスメディア系のゼミに入っていたのと、さきほどお話したハンバーガー屋のプロモーション体験も拍車をかけて、広告業界がいいなと思っていました。また、当時読んでいた雑誌『広告批評』のマドラ出版さんが主催する『広告学校』に通ったり、大学でも広告業界の先輩にOB訪問をしたりした結果、おすすめも受けて2年間専門学校でグラフィックのデザインを勉強して、卒業後はグラフィックデザイナーとしてとある広告代理店に入社します。

ただ、まさかの入社すぐに会社都合で転職せざるをえなくなり、書籍や企業の会社案内技術案内、教育機関の学校案内などエディトリアル系のデザインをやる制作会社に入りました。

その2社目では、社長自らが営業をして、制作から納品までをこなすという一匹狼スタイルだったので、僕も社長の背中を追っかけながら本当にいろいろご指導いただいて一通り経験させていただきました。その会社には7年ほど在籍したのですが、グラフィックデザイナーなのにテレアポして、アポの進捗が悪かったら飛び込み営業もチャレンジしていましたね。

おかげで、ある程度度胸がついたのと、商談時に課題をヒアリングし、どう自分の業務に結びつけてクロージングまで持っていくか、営業に必要な経験を重ねることができました。

ただ、人がいなかったので途中なぜか僕が労務の仕事もやることになりまして。人の出入りがあるたびにハローワークに求人の登録をしに行っていました(笑)。

「いつか行きたい広告業界」いざ入ってみたら、言葉の通じない外国にいる気分だった

 
 

制作会社には7年と、比較的長く在籍されていたのは何か理由があるのでしょうか?

興味のあった企業のブランディングが実践できるだろうという理由で、広告代理店にはずっと行きたいと思っていました。ただ、通っていた広告学校の飲み会に参加したときに、マンダムをはじめ数々のヒットCMを手がけられている黒田秀樹さんとご一緒させていただいたのですが、「広告代理店に入るにも、手に職をつけてから上流に上っていったほうがいい」とアドバイスをいただいたんです。

そのため「手に職がついたかな」と実感するまでは、制作会社でしっかりデザインを身につけようと決めていました。当時は自分のキャリアになんとか箔もつけたいと燃えておりまして、新聞社ごとに開催されていた広告賞にも毎年応募したりもしていたのですが、なかなか受賞できず。

それで、もう少しできることの幅を広げておこうかなと書籍やパンフレット制作の他に、特殊印刷を駆使したツール制作や、WebデザインやWebアプリケーションのUI制作もやったり、デザインは関係ありませんが、自社CMSの販売もしたりしてスキル拡張を意識して仕事をしていましたね。

そして、そろそろいけるかなと思い、広告会社を中心に転職活動をしてD2Cに入社しました。

念願の広告代理店にいざ入社してみて、いかがでしたか?

D2Cに入社とほぼ同時に電通に駐在させていただくことになり、念願の広告業界に身を置けたわけですが、最初の半年はなかなか成果がでず「自分には合わないのかもしれない」と思ってしまったこともありました。

前職での制作の知見だけでは、まったく通用しないんですよね。まず、会話で使う言葉が違う。KPI、CPC、CTR、なにそれ?制作に関係ない言葉が出てきているぞ?という感じでしたし、これまでは直クラ案件がほとんどだったせいか、展開?巻取り?刈り取り?日本語ですら意味わからない、みたいな状態で。

言葉がわからない外国にいるような気分なんですよ。会議に参加しても何も話さず、「とりあえず、その場にいた」という感じで、まさに地蔵状態でした。当然成果も出ず、評価もあがらないという泥沼にはまった状態でした。

 
 

入社して最初からプロデューサーを任されたんですが、グラフィックデザイナーから突然プロデューサーとしてのキャリアがスタートして、さらに直クラ案件中心の制作会社から広告代理店へと環境が変わって、仕事の進め方がまったくわからない状態でした。

特に、商流の中間でパフォーマンスが必要な代理店だと各所とのネゴシエーションの仕方に戸惑い苦労しました。クライアントの他に、代理店の営業、クリエイティブチーム、メディア担当、PR担当がいて、さらにパートナーのディレクター、デザイナー、エンジニアがいたりと、関わる人が多い。広告代理店のステークホルダーの把握ができた後も、プロジェクトを推進させるために誰と向き合って調整していくかなど、広告代理店の構造がはじめのうちは全然わかりませんでした。

ただ、「1年間続ければ、なんとかなるだろう」と根拠のない希望というか想像はあったんですね。所属1年目の前半は本当にいろいろな方にご迷惑をおかけしたり、ご指導いただいたりする一辺倒だったのですが、幸いにも1年目の後半になってきて一通りの人間関係の構造理解と、言語の慣れが進み、制作する領域もWebサイト・アプリ・動画・SNS・キャンペーンなど発生頻度の高い案件経験も積むことができたので、徐々にですが、ようやく成長できるキッカケを得られたと言いますか、泥沼状態から浮上することができた、という感じでした。

統合的コミュニケーションのプロデュース実績と目標としていたアワード受賞

プロデューサーとして大きく成長したな、と思える出来事は何かありますか?

D2Cに入社して4年目ごろに、「でんぱとーく大実験!」というプロジェクトを担当させてもらったんですね。概要としては、Sonyさんのウェアラブルデバイス「SmartBand Talk」をベースとした限定機「でんぱとーく零号機」を通じて、でんぱ組.incのファンの皆さんと、音声によるコミュニケーションの可能性を追求するというプロジェクトでした。

プロジェクトの核となる「でんぱとーく零号機」の要件定義から参画し、プロジェクトの推進場所になるWebサイトの制作、ファンの皆さんの「でんぱとーく零号機」の入手方法の設計からファンクラブメルマガを始めとした情報告知のプラン、デバイスの送付にあたっての仕様の詰めや、到着後のプロジェクト実施時のフロー設計・実施段階の運用など、プロジェクトの推進にあたって必要なことを各所の皆さんと連携しながら陣頭指揮をとらせていただきました。

プロジェクトの集大成としてでんぱ組.inc メンバーとファンたちが実験を振り返るイベントも行ったのですが、プロジェクトデータの解析、イベントのプログラム制作と、最後の最後まで経験したことのない担当領域で非常にやりがいのあるプロジェクトとなりました。

実験プロジェクトでもあったので、ミニマムの体制で運営していたのもあり、とにかくタスクに追われていた大変なプロジェクトではありましたが、各専門家の方々と連携の最大化のために、どう振る舞うべきかの知見を積むことができたので、非常に貴重な経験でした。

2018年には、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS、Spikes Asiaにてアワードを受賞されましたね。

企画の良さが、施策のフィニッシュまで反映された良い案件に携われて非常に光栄でした。自分自身でも広告業界を目指していた学生の頃からの目標で、アワード受賞を掲げていたのでありがたかったです。

ただ今は、個人的な受賞というよりも、D2CdotでもWEBディレクター・WEBデザイナー・バックエンドエンジニア・アナリストとの連携によってなし得たプロジェクトなので、チームで参画した案件が評価されたことが何よりうれしかったです。

アワード受賞となった『PLAY THE GIFT』プロジェクト
アワード受賞となった『PLAY THE GIFT』プロジェクト

「やりきったと思える人生を送りたい」1本で繋がっていた自身のキャリア

昔から「広告業界に入りたかった」という気持ちを持っていまに至ると思うのですが、自身のキャリアを振り返ってみていかがですか?

もともと、広告業界で企業のブランディングに貢献する仕事をしたかたったので、現状戦略上デジタル領域に起点は置いてますが、コミュニケーション全般のプロデュースに実態が広がってきているので、結果自分のキャリアは「1本で繋がることをやってこれているのかな」と感じています。

スキルのステップとしても、前職のとき、お客様のことをちゃんと見て仕事がしたいというのもあって、営業的な仕事も嫌じゃなかったんですね。むしろ、クライアントから課題感を聞いてアジャストしていくというのが肌感合っていて、営業的な立ち振舞はとても勉強になりました。

プロデューサーの仕事も、顧客との折衝含め、企画から設計、進行、納品まで一気通貫で見ていき、営業的な商いを成り立たせる仕事ですから、繋がるものがありました。

特に、代理店の役割って何かと考えたとき、本当にただの代理になってしまうと全体のボトルネックでしかないんですね。やるべきことは、クライアント、そしてその先のエンドユーザーのことも見て、そして制作現場が安心して制作できるよう課題やその解決の指針を整理するなど、しっかりとデリバリーをすること。

グラフィックでもWebでも、デザイン後の工程があって。グラフィックであれば印刷工程がありますし、Webであれば実装や解析など、なぁなぁにしてはいけない工程がたくさんあります。

そういったすべての工程において、クライアントに迷惑がかからないために、常に何が起こるかを紐解いて考えることが大事ですから、これまで自分がやってきたことが各所に活かせているのかなと思います。

 
 

今後の目標はなにかありますか?

デジタル起点でのコミュニケーションプロデュース実績をを引き続き増やしていきたいですが、その中でも再現性のある知見を体系化をして、社内外に情報発信を強化していきたいですし、コミュニケーションプロデュースの需要を喚起していきたいですね。

またD2CdotにもセールスプロモーションやBtoB、ECなど様々なバックグラウンドを持つメンバーが増えてきているので、それぞれの領域で専門性のある部隊ができていくような画も描いていきたいと思います。

やはり組織として成長するためには販路の拡大をすべきですし、販路が拡大すればやることも変化するため、組織としてのスキルアップを図っていきたいなと。

そして、これからはコミュニケーション領域をちゃんと売りにつなげる、商いを成立させるプロデューサーを目指していきたいと考えていますし、その先もこの道を進んでいき、「やりきった」と思える人生を送りたいですね。