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CREATOR INTERVIEW VOL.33

マンションの一室から200名規模へ。デザインの役割と向き合い続けた18年の軌跡

FOURDIGIT inc.

「ビジネスの戦略にどうデザインを取り込んでいくかを考える仕事が増えていく」と語るのは、FOURDIGIT inc. 代表取締役の田口亮氏。創業から現在までの歴史とは?

ブランディングやビジュアル、インターフェースなどのコミュニケーションデザインから、UXやEX、事業構築などのサービスデザインまで、幅広い領域の“デジタルデザイン”を提供する、株式会社フォーデジット。 2001年の創業以来、日夜変化する技術やニーズ、リーマンショックといった時代の局面へ向き合い、業務領域の拡大、分社化・合併を含む組織改革など、絶えず変革を続けながら18年の歴史を刻んできた。 デジタルでの企業活動全般を支援する現在まで、フォーデジットはどのような歴史を辿ってきたのだろうか。創業から現在までの歴史を、代表取締役の田口亮氏に伺った。


不動産サイト制作を基盤に据えた創業期

田口さんは、フォーデジット設立2年目にジョインされたと伺いました。その頃の様子を教えてください。

当時のフォーデジットは、マンションの一室で仕事をしていました。面接も「さっきまでそこで寝てたでしょ」といったような生活感のある場所だったのを覚えています(笑)。

制作体制も組織立っておらず、創業者の蛭田(創業者で現・共同代表の蛭田正司氏)が営業で案件を獲得し、適宜担当できる人が対応するようなかたちです。メンバーも職種は分かれておらず、都度できることをできる人がやる、という感じでした。

ただ、蛭田自身がクリエイターではないこともあり、メンバーがやりたいようにやれるよう、働きかけていたのが印象的でした。

 
 

当時は、どのような案件を請けていたのでしょうか?

創業からリーマンショックの頃までは、不動産業界の仕事が多く、主に新築マンションのサイト制作や、モデルルームで使うデジタルコンテンツ制作などをおこなっていました。

不動産のビジネスは、来場予約や資料請求にはじまり、モデルルーム見学、その後営業の方が物件を販売、などビジネスプロセスがはっきりしています。そのなかでWebサイトの役割は、来場予約や資料請求を勝ち取ること。明確な役割とビジネス上の目的を持ったサイト制作の経験を重ねていきました。

加えて、不動産は比較的業界が閉じているため、仕事で一定の成果をだしていれば、あまり競争がなく安定的にお仕事をいただける。そのため、事業として大切な収益基盤になっていきました。

リーマンショック後求められたのは、成果を上げることだった

創業期から安定した基盤を構築できていたんですね。ただ、現在は不動産業界だけでなく幅広い案件を手がけられています。転機は、いつ頃だったのでしょうか?

一番は、リーマンショックです。幸い、当社は継続的に案件をいただけていたため、経営面で問題はありませんでした。ただ、周りの様子を見ると、特定業界だけに絞った事業構造はまずいと強い危機感を覚えたんです。この葛藤は長らくあったのですが、真剣に向き合いはじめたという感じです。

そこから、さまざまなクライアントとお仕事をし、自分たちの強みや弱み、向いている仕事や向いていない仕事などの解像度を上げていく期間が続いていきました。

 
 

試行錯誤の中では、どのようなものが見えてきたのでしょう

強みでいうと、しっかりと成果を上げるWebサイトを作れるという点です。

以前は、打ち上げ花火のような、目を引くことに主眼を置いた派手なキャンペーンサイトも少なくありませんでした。それが、リーマンショックで企業の広告宣伝費が削減されるとともに大幅に減り、「効果が出るものにしかお金をかけられない」という姿勢へ変化していったんです。

我々は、創業期から手掛けてきた不動産の領域で、来場予約や資料請求といったビジネス上の明確な目的に対し、いかに「成果」を上げるかを考え続けてきました。リーマンショックを機に、この点を非常に評価いただけたんです。結果、不動産業界以外のクライアントとも、ご一緒する機会が増えていきました。

もともと持っていた強みが、リーマンショック以降の市況のなか「選ばれる強み」になっていったんですね

加えて、この頃からUXや人間中心設計(Human Centered Design:HCD)のインプットを進めていたのも、後々大きな意味をもちました。2008年ごろはUXの概念がちょうど話題に上がりはじめた頃。

それまでは広告訴求をするターゲットとして捉えていたユーザーを、理解すべき対象に据えなおし、彼らを中心にデザインしなくてはいけない。これを早い段階でインプットし、文化として根付かせていけたのは、フォーデジットにとって大きな強みになったと思います。

逆に、弱みと把握した部分はありましたか?

クライアントと同じ目線になれない仕事の受け方は避けるべき、という点です。

7年ほど前、当社にしては珍しい尖ったクリエイティブが求められるキャンペーン案件を受けてみたのですが、情報が降りてくるのを待ち、初動が遅れたことで、スケジュールにムリが生じてしまったんです。

最終的には不眠不休で納品まで突っ走るハードな案件になってしまいました。我々の動き方を反省したのはもちろんですが、案件の特性によってはクライアントと肩を並べて同じ方向を向くのが難しいものもある。適切な関係を築けるかは、精査すべきと学びました。

分社化からの合併。目指す組織を模索する日々

 
 

不動産に限らない案件が徐々に広がっていった中、2012年には分社化をされています。ここにはどのような目的があったのでしょうか?

大きくは2つの理由がありました。ひとつは大型不動産メディアの運用更新を受注するにあたり、大規模な採用と専門チームの組成が必要だったこと。もうひとつは、不動産領域以外の体制強化です。先述の通り、リーマンショック以降、不動産以外の案件が増えたものの、慣れない仕事ということもあり、日々チャレンジが必要な状況でもありました。

一度は、それに合わせて不動産案件をやる部署と、それ以外をやる部署に切り分けたのですが、するとお互いに「あっちの部署はいいよね」というような声が上がってきてしまったんです。これはまずい。

隣を言い訳に自分たちの仕事に集中できない状態になりかけている。それを避け事業を伸ばすために各々が責任を持てる体制が必要でした。結果、業界を絞らずブランディングやプロモーション、サービスデザインなどを行う『FOURDIGIT DESIGN』、不動産プロモーションに特化した『FOURDIGIT ESTATE SOLUTIONS』、大型不動産サイトの運用更新事業を担う『ETHERGRAM』の3社に分社化する方針を固めました。

それぞれの事業を伸ばすための決断だったんですね。分社後は、どのように運営をされていったのでしょうか

オフィスの場所こそ同じビルでしたが、それぞれの会社が単独でもやっていける力をつけようと、別の組織として運営していました。もちろん個々で苦労する部分はありましたが、徐々に自律的に動くようになり、それぞれ強みを発見し強化されていきました。最終的には、各社30名ほどの規模まで伸びていきましたね。

そこから、2018年7月には子会社3社を吸収する形で、再びひとつの組織にされました。ここには、どのような意図があったのでしょうか?

「デザイン会社としてどのような姿を目指すべきか」を考えた上での判断です。個社がある程度まで拡大したからこそ、次の規模に行くにはドラスティックな変化が必要な時期でもありました。

それぞれ自由に伸ばす、小さなチームであり続けるなど、さまざまな選択肢がありましたが、我々はすべての強みとリソースを合わせ、規模感を活かす方向に舵を切りました。小さな組織のままではリスクが高いと考えたんです。

 
 

リスク、というと?

小さな組織は、個人の技術や経験に依存した組織作りになってしまうことが多いからです。環境の変化が早い中、10年前に使えた技術は今はほぼ通用しません。個人がもつスキルの価値はすぐに変動してしまうので、組織全体で知識や経験を交換をしたり、総合力を高めていかなければすぐに淘汰されかねない。

規模を活かし個ではなく社としてのアセットを構築することで、企業の継続性、安定性が向上し、長期的には個人の成長機会も作り出せると考えました。

ただ、突然合併といわれると不安を感じるメンバーも少なくなさそうです。

もちろん、一筋縄ではいきませんでした。各社それぞれに強みがあり、雰囲気も文化も異なる。合併にあたっては、社員一人ひとりと面談して懸念点は聞きつつ、どうすれば安心して移行できるかコミュニケーションを重ねました。

「今までにないことを求められるのではないか」と不安を感じている人や、「小さな組織のままでやりたい」と考え退職してしまった人もいます。ともに働いてきたメンバーが離れることに、さみしさもありました。

デジタルがビジネスを包み込む中、デザインが担う課題解決

合併はどのように進めていったのでしょうか?

いくつかの段階を踏み、ゆるやかに移行をしていきました。まずはできる限り数多くのメンバーと1対1で話をし不安や疑問と向き合います。そこで課題を把握し、可能な範囲で対応した上で2018年7月に合併。

最初の半年間は、各社が事業部になるという変化のみに留め、体制や仕組みはほぼ一緒。実質、社名が変わったに過ぎない状態で様子を見ました。このときは、かたちの上では「組織の壁」はなくなりましたが、見えない壁がある状態。同じ場にこそいるものの、それぞれ別の仕事をしていました。

そこから、2019年に入り、案件へのアサインや情報のシェアの仕方を徐々に変えていきました。すると、少しずつ人や情報の交流が生まれ”隣の島も同じ仲間”という認識が広がりはじめているのが今です。

 
 

合併によって、事業面での変化はありましたか?

規模を活かした案件に、より対応がしやすくなってきているように思います。たとえば、ここ数年デジタル施策全般を相談されることが増えました。これまではデジタル施策の中の一つとして、プロモーションサイト、コーポレートサイト、オウンドメディア、などといったご依頼が多かったのですが、それらを取りまとめる上流施策から一緒に考えてほしいというオーダーです。

この場合、リソースも多くかかりますし、手掛けるのも多様な領域にまたがってくる。コミュニケーション設計からビジュアルデザインまで、一貫したサービスや体験を提案・実装できるのは、今の体制だからこそだと思います。

各社の蓄積を掛け合わせられるからこそ、出せるパフォーマンスがあると。

この次は、ビジネスの戦略にどうデザインを取り込んでいくかを考える仕事が増えていくでしょう。

デジタルやWebの施策が重要視されて久しいですが、今後はデジタルがビジネス全体を包み込むといわれている。そこではシステムを作ったり、効率化を図ったり、デジタル技術を取り入れることはもはや当たり前で、いかにストレスなく使え、複合的な課題をシンプルに解決できるかが求められる。そこには、デザインの力が欠かせません。

 
 

その時代を見据える中、今後フォーデジットはどのような変化をしていこうと考えているのでしょうか。

ふたつあります。ひとつは、この組織体制を活かしていくこと。体制こそ移行したものの、事業部間でのスキルやナレッジの共有、柔軟なリソース配分など、組織的な強みはこれから構築していくフェーズです。

その基盤を整えた上で、これまでは対応し辛かった大規模プロジェクトへの参画や、より上流からのコミットなどを積極的に取り組んでいきたいと思います。全体の体験からプロダクトやサービスを作り込む「サービスデザイン」と商品やサービスを消費者に伝えていく「コミュニケーションデザイン」とは、求められる性質の違いから今は分業されていますが、いずれは融合した世界観の中で解決されていくと考えています。

もうひとつは、日本だけではなく海外のマーケットにも目を向けたいと考えており、タイで現地法人FOURDIGIT(THAILAND)を立ち上げました。

タイを選んだのは、現地のUX業界を牽引しているトップクラスのメンバーを迎え入れられたためです。組織・技術の双方で申し分ないチームとともにスタートできるのは非常に希有なチャンスだと考えています。日本でも海外でも、ビジネス・デザイン・テクノロジーの接続は至上命題になってきています。フォーデジットのあらゆる強みを活かし、アジアでのデジタルデザイン市場を牽引していきたいですね。